が浪士組に入隊して、一ヵ月あまりが過ぎた頃。
度重なる芹沢の暴挙に、浪士組の名は一気に広まり、
京中から恐れられるようになっていた。
そして不本意ながらも、その名を利用し、悪事を働く不逞浪士が出てきた。
大きな問屋に押し入っては浪士組の名を語り、
脅迫擬いの方法で、次々と金を取り立てていくのだ。
浪士組の名は、地に落ちる一方だった。
「不味いな…早いところ手を打たねぇと。」
「もう少し見廻りを強化した方がいいな。」
数日の見廻りの強化が功を奏したのか、この事件に関して、一人の浪士の名前が挙がってきた。
「浪士の組の名を語るなんて許せませんね!」
「これ以上評判が悪くなれば、洛中を歩くことさえできなくなるからね。
一刻も早く彼を捕縛しないと…」
と言葉を交わしながら、山南は身仕度を整える。刀を挿し
、羽織に手を通した所でが言葉をかけた。
「気を付けて下さいね。」
「ああ、ありがとう。では行ってくるよ。」
に笑顔を向けると、山南は、数名の隊士を連れて、屯所を後にした。
その後姿を見送りながら、は妙な胸騒ぎを覚えた。
何事も無ければいいのだけれど…………
その願いとは裏腹に、この後は驚く光景を目にする事となる。
夜が明ける頃、俄かに屯所が騒がしくなった。
も身支度を整え、自室を出る。
「一体何があったんですか?」
「やぁ、君も起きたか。」
「これだけ騒がしければ、起きないわけありませんよ。」
「どうも山南さん達が当り籤を引いちまったみたいでね〜。」
そう言って近藤は頬をかく。
「…………まさか…」
「そう、そのまさかだよ。あ、帰って来たみたいだねぇ。」
門を潜ってきた山南達の姿に、は声を失った。
全身真っ赤に染まり、羽織は彼方此方が斬れてボロボロになっている。
「山南さん、ご苦労だったねぇ。」
近藤がかけたその言葉に、山南は力無く笑う。
「や……山南さん……その血は……」
がその場にいたのが意外だったのか、山南は一瞬驚くが、すぐに優しい表情に変わる。
「これは相手の返り血だ。私は大丈夫だよ。」
その言葉には安堵するが、それと同時に山南の力無い笑顔が気にかかった。
「お疲れの所悪いんだけど、事の一部始終を報告してもらえるかい?」
「ああ………」
近藤と山南は、そのまま局長室へと入っていった。
その場に、生臭い香りだけを残して………
日が高くなるまで、は山南の部屋の前で、彼が戻ってくるのを待ち続けていた。
悪行を重ねる不逞浪士を討ち取ったことは、手柄である。
喜ぶべき事と思えるのだが、山南は浮かない表情をしていた。
一体何があったのか………
「君?いつからそこに居るんだい!?」
報告を終えた山南が現れた。
「あ、お疲れ様でした。」
「もしかして…私達が近藤さんの所にいる間、ずっと待っていたのかな?」
「は……はい…。すみません…。」
山南は、そんな申し訳なく俯くを見て、笑いながら自室の障子を開いた。
「お茶でも飲んでいくかい?」
「あ、でもこれからお休みになるんじゃあ…」
「今日は非番だから、少し位構わないよ。おいで。」
山南に促され、は部屋へと足を踏み入れた。
向かい合う様に座ったに、山南はお茶を淹れてくれた。
「ありがとうございます。」
「で、何かな?」
「……………えっ!?」
口に運ぼうとした湯飲みを落としそうになり、焦って視線を上げる。
「何か私に聞きたい事があったんじゃないのかな?」
何故判ったのだろうか。
「あの………」
「いつもは私を真直ぐ見つめて尋ねてくる君が、
今日は視線を逸らしているからね。聞き難い事なのだろう?」
ここまで気付かれていては、もはや躊躇う意味はない。
「では、失礼を承知で尋ねてもいいですか?」
「何だい?」
「見廻りの時に何があったんですか?」
「それは、以前から追っていた不逞浪士の…」
「それは知っています。そういうことじゃなくて…」
は、山南が屯所に戻ってきてから感じていた違和感、そして疑問を全て山南に話した。
手柄を素直に喜ばない真の理由は何なのかを。
「君もよく私の事を細かく見ているね。正直驚いたよ…」
息を大きく吐き出すと、意を決した様に山南は語り始めた。
「私達は、元々攘夷のために上洛してきたんだ。
だからやり方は違えど、彼らとは志を同じにする………言わば同志だ。
できることならば手にかける事は避けたかったんだが…。」
そう言って山南は、自分の刀をの前に差し出すと、鞘から抜いて彼女に見せた。
鞘から表れた赤心沖光の姿に、は目を逸らしたくなった。
もはやその刀身は、原型を留めていなかった。
切っ先は折れ、刃毀れも酷く、血に染まって鈍い光を放っている。
昨夜の戦闘がいかに激しい物だったのかを物語っている。
「山南さん……これ……」
「死闘の成れの果て…さ。」
言い終るか否や、刀を持つ山南の手が震え出した。
柄を握る拳に力が篭る。
「それだけでも、私の心には十分なほど痛手だったよ。それなのに…」
「………!?」
先程までの淋しそうな表情とは打って変わり、徐々に悲痛さが増していく。
「事件の詳細を話している間にね、この刀の押型を取ったんだよ。」
「近藤さんの命ですか?」
「いや、土方君だ。この押型を文に添えて、多摩へ送るんだそうだ。」
「何の為に……」
「上洛してしばらく、いい報告をしていないからね。
こちらで活躍している…と故郷の人達に自慢したいのだろう。」
山南は変わり果てた愛刀をじっと見つめながら、言葉を続けた。
「これだけ京で評判を落として、何が活躍なんだろうね。
真の攘夷とは一体何なのだろうか。
我々浪士組はこの先、何処へ向かっていくのだろう……」
初めて耳にした山南の思いに、は胸の奥が苦しくなった。
思わず涙が零れ落ちる。
「君!?」
「あ……ごめんなさい…」
「どうして君が泣くんだい?」
色々な感情が渦巻いて、上手く言葉で言い表せない。
山南の思いを知った今となっては、不逞浪士を討ち取ることを
単純に手柄だと思っていた自分が、恥かしくさえ思えてくる。
山南はずっと葛藤しながら、剣を振るってきたのだ。
そしてこの事件で、今まで苦楽を供にしてきた愛刀を失い、更には………
「私…何も知らなくて………」
の表情から彼女の気持ちを察した山南からは、既に悲しみや怒りの色は消えていた。
「ありがとう。私の為に泣いてくれるのだね。」
優しく微笑むと、そっとの涙を拭った。
文久三年の初夏。
浪士組に大きな転機が訪れる少し前の事である。
あとがき
新選組の中でも初期の頃の事件。
岩木枡屋事件をもとに描いたお話です。
土方さんの愛刀、和泉守兼定の話を書いていた頃から
山南さんの愛刀、赤心沖光のエピソードも書きたいと思っていたのです。
この事件は、不明な部分も多く、なかなか設定が定まらず、頭を悩ませておりました。
でも山南さん好きなら、外しちゃいけない事件だろうと…
この時、山南さんなら、こんな風に思ったんじゃないかな…とか
この時鈴花ちゃんがいたら、どんな反応をしたんだろう…とか、
想像するのは楽しかったです。
この事件の後に、ゲームでは第1章に起きる八月十八日の政変が続くのです。